in Blue



何か 僕は何か
視界は霞んで見えなかった 遙か遠くまで及んでいる砂嵐 その先に在るものを 僕は知らない
波動とは何か 固定するための分子とは……
耳鳴りの向こうで誰かが僕を呼んでいる
素粒子の夜明け
軌道がずれて 外せなくなってしまった掛け金
誰か 僕は誰か
ここに在る そこにいる 爪程もない場所に
罅割れたガラスの向こうに


照りつける恒星の光に焼かれた大地。贖いの果てに閉ざされた未来。
こびり付いた夏の地で、おまえは眠る。
子守歌代わりにそれらを時代に撒き散らす。


僕は何か おまえは誰か
瞼の裏には一面のブルー
耳の奥には夏を追う者達の影
青い鉱石を その欠片を
僕は噛み砕いて託す
そして いつか再び巡り会うまで
その鉱石を含んだ者と………


その存在は少しずれていた。鳥は羽ばたけずに落ちて行った。未来は翔べずに裂けて行った。青い時間と水の底へ……。その深淵の惑星にある谷間の底へ……。

広大な砂漠にはただ風が吹いていた。
灼熱の太陽と夜の寒気が僕の肉体を蝕んで行く……。
手の中には何もなかった。数式の欠片も、僕自身を証明する何かも……。
僕は何なのか。僕は誰なのか。大切なものがあった筈だ。自分自身よりも大切な何かが……。

僕はそのために来た。誰かに追われていた。誰かに厭われていた。そして、消滅するものとして常に流れていた。
なのに、固定した。掛け金が外れなくなった。何処かがショートしていた。何処かがぶれていた。そして、何かが欠けていた。僕は僕でない者へと変質し、集積も拡散も変容も出来なくなった。
何も出来ず、何も使えず、失ったことで、僕は世界を眺めるためのレンズを手に入れた。

そこは砂漠だった。僕は何かを求めていた。生き物が通り掛かった。首と足が異様に細く、背中に二つ山なりのある奇妙な獣。その影にいた人間が話し掛けて来た。
「こんな所で何をしている?」
それは男だった。白い布を巻き付けた人間の……。
「……翔べないんだ」
僕の言語は正しかったろうか。それさえも、今は確証がない。
「妙なことを言う」
男は僕を眺め回す。何かがずれているのだろうか。固定された時に、何かが欠けてしまったのだろうか。測定不能な解答。

「渇いていないのか?」
「僕は渇いているのか?」
「旅人か?」
「旅人なのか?」
男は訝しんでいる。僕は訝しいと思っている。
「水が欲しいか?」
「水は生きるために必要だ」
「あの岩山の向こうにオアシスがある」
「オアシス……?」
「そこまで行けば、木陰と水がある」

水分は蒸発していた。僕は、もう随分長い間、補給していない。オアシス……。そこまで翔べればいいのだけど……。僕の足は磁石のようにそこに貼り付いていた。
「僕はそこへ行きたい。でも、足が動かない」
男は僕をその生き物の背中に乗せた。持ち上げた時、男が言った。
「軽いな」
「軽いのか?」
「ああ。女みたいだ」
「僕は女なのか?」
男は笑い出した。何故?
「いや。男だろう」
「そう。僕は男だ」

「それにしては軽い。おまえ、本当に人間か?」
「僕は人間なのか?」
男はまた大声で笑った。
「何処から来たんだ?」
何処から……。それは解答が難しい質問だ。僕は原子であり、複合体でもある。概念でもあり、実在するものでもある。流れるものでもあり、固定するものでもある。そして、僕とそうでないものの隔たりはない。あるいは隔離され、漂っている闇の何処か。
「存在する場所……。あるいは存在しない場所」
「ふむ」
男は何かを考えている。僕は何かをしなければならないだろうか。

「年は幾つだ?」
「どういう単位で答えればいい?」
「1年は365日。1日は24時間。生まれてから1年経てば1才だ。おまえの国では違うのか?」
「1日とは?」
「星が自転するのに掛かる時間だ。1年は太陽の周りを公転する周期」
「わかった。計算してみよう」
僕は地表のある惑星で過ごしたことがある。その星を基点に考えてみた。
「38.79才だ」
「そりゃ、随分公転周期の速い星だな」

「じゃあ、何才ならば適切と言える?」
「15才より上には見えん。つまり大人ではないってことさ」
「どうしてだろう? 僕は何かが欠けているのか?」
「そうだな。俺が思うに、記憶が欠けているかもしれない」
「僕には記憶が欠けている。そうだ。欠片を散らした。それで多分、1パーセクの時間を稼いだ」
「1パーセク? それは距離の単位だろ?」
「僅かなって意味さ。宇宙では一瞬でしかない。でも、滅亡に向かっている人類にとってはそんな瞬きするほどの時間でも貴重なんだ」
「まるで、おまえ自身が宇宙から来たような物言いをするな。まるで人類を超越しているかのように……。だが、そんなことは口にするな。神より上の存在など、ここでは認められない。異教徒は殺される運命だ」
「あなたは信じている?」
「信じているさ。それがここで賢く生きるための秘訣だからな」

「僕は殺される?」
また、逃げなければならないのか。翔べない体を持って……。
「信じている振りをすればいい」
「嘘はばれる」
土色に染まった風が、僕を過去へ押し戻そうとする。礫が視界を遮っている。

僕は渇いている。僕は飢えて、情報を欲している。
「何処から来たって?」
男が訊いた。
「空……」
吹き付ける風は炎のようだった。空も大地も焼き尽くして行く……。獣はとぼとぼ歩いていた。男は焼けた銅と同じ色の肌をしていた。笑うときれいな歯が覗いた。黒い髭が顔の下半分を覆って年齢は定かではなかった。

耳の奥で微かに金属音が響いた。
追っ手が来たのだ。でも、僕はもう逃げる手立てがなかった。翔ぶことも、何かを構築することも出来なければ、手の打ちようがない。だけど、もし連中が僕を捕らえ、僕の頭の中をすり潰したとしても何の情報も在りはしない。僕は空に向けて微笑した。来るなら来ればいい。そして、僕を焼き尽くせ! おまえ達の欲するものはここにない。


「熱病に罹っている」
男が言った。涼しい風が僕の周囲を吹き抜けて行った。渇いた唇に湿った布が当てられ、管で水分を与えられた。そこは囲われていた。石の壁と樹木の床とで仕切られて、僕は布の上に寝かされていた。
「……何処だ?」
口の中が苦い。
「気が付いたか?」
あの男だった。黒い瞳が僕を覗く。

「ここは……」
僕は噎せた。咳が続く。胸が痛い。
「ここは俺の家だ。おまえは追われているのか?」
「何故?」
「得体の知れない奴らが来た」
「それで?」
連中に襲われて無事な筈がない。何故、この男は平然としていられる?
「おまえ、一体何をしでかした?」
「……」
「とても普通の連中じゃなかったぞ。一応追い払っておいたが、また来るかもしれない」
追い払っただって? 馬鹿な……。連中は諦めない。標的を捕獲するか抹殺するかしない限り決して撤退することはない。だから、僕は逃げて来たんだ。何処までも翔んで……。時間も空間も超えた世界へ……。だけど、僕はもう翔べない。今度奴らに遭遇したら助かる見込みはほとんどなかった。

「出て行く」
僕が立ち上がろうとすると男が止めた。
「無理だ」
激しい目眩を感じて、僕は壁に手をついた。体の中心がぐらついて、とても真っ直ぐには歩けそうになかった。
「寝てろ」
男が言った。
「でも、また襲って来る」
「そしたら、またおっ払えばいい」
「あなたに迷惑が掛かる」

「俺は大人だ。おまえより体力がある」
「僕も大人だ」
「みんなそう言いたがるのさ。おまえのような年頃にはな」
「……完全だ」
だが、体が付いて行かなかった。今は欠けているから……。それとも、最初からこんな風だったのだろうか。記憶が曖昧になっている。

「名前は何と言う?」
男が訊いた。
「ジョー」
「ジョーか。いい名だ。俺はアラム」
「アラム……。それはいい名なのか?」
「さあて、どうかな? これから起きる危険を回避出来たらいい名前なんだろう」

「どうして、僕を助けた?」
「おまえが青い目をしていたから……」
「何故青い目だと助ける?」
「昔、そんな目をした者に助けられたことがあったからさ」
「僕は青い目をしているのか?」
そうだ。僕はブルーが好きだった。だから、大事なことはみんなブルーノートに記した。

「おまえ、鏡を見たことがないのか?」
「鏡……?」
それはスクリーンに投影した虚像……。そこに埋め込まれた情報は、逐一チェックされている。
「僕は盗人(ぬすびと)だ。僕は世界のすべてを盗み、僕を盗んだ。そのせいで追われている」
「じゃあ、その盗人であるおまえを俺が盗んだらどうなる?」
「アラム……?」
男の言語は理解出来なかった。恐らく、アラムにも僕の言語は理解出来ないのだろう。それでも、僕らの意思は疎通した。

「おまえ、何処から来た?」
「虹の端の向こうから……」
それを聞いて男が笑う。
「昔、青い目の天使と会った。そいつが俺に託した物がある」
「……欠片を持つ者か」
僕はそれをいろいろな時代と場所にばら蒔いて来た。その欠片の一つを託した少年。それがアラムだった。
「だから、僕を庇ったのか?」
「それもある」
「最初からわかっていたのか?」
「いや。初めはわからなかった。おまえが俺に気がつかなかったように……」
「だが、思い出した」
「そうだ。おまえの青い目を見ているうちに思い出した。俺が果たすべき役割を……」

そうだ。始めから組み込まれていた。いつか僕が砂漠に落ちて困るだろうと……。だから、アラムはそこで待っていた。僕のためのオアシスを抱いて……。

その時、追っ手が次元の壁を破って現れた。
僕は咄嗟に壁を蹴った。相手は5人。勝ち目はなかった。でも、アラムが翳したブルーノートの欠片が僕を包んだ。そこに書かれた数式は一瞬で僕の組織に取り込まれ、アラムが持つページは消滅して行った。
「翔べる」
僕はアラムの手を取った。が、飛翔する一瞬の間に攻撃が来た。でも、大丈夫だ。振り切れる。なのに、アラムが僕の手を放し、敵の前に立ちはだかった。その手には剣を持っていた。
「駄目だ! 早くこっちへ!」
が、伸ばした手は届かなかった。いや、アラムがそうしなかった。何故だ? もう一度おまえと虹の話をしたかったのに……。

僕は次元の壁を越え、また、知らない場所に出た。ここは一体何処なんだろう?
それは洒落た石造りの建物が並ぶ街。
今は少し霧雨が降っている。空気はさめざめとして冷たかった。灯った街灯の向こうでアラムが纏っていた白い布が赤く染まって行くのを見た。
石垣の向こうにあるショウーウインドーのガラスに映るブルー。それは僕が持つ悲しみと同じ色をしていた。